考えたことメモ

  • お寺のアルバイトしていると足の悪い人がよく参詣に来るのだが、ゆっくりゆったり階段を上る姿にはおかし味がありニヤニヤっとしてしまう。これは不謹慎なことなのかどうか――。ANさんが、祖父の葬式でボケてしまった祖母が「なんでこんなに人が来ているの?」と言いい母親を泣かせ、それを見て笑ってしまったそうなんだが、オレはそれを聞いてさらに笑ってしまったのだが、これも不謹慎なのか――。オレは金縛りをクモマッカ出血だと勘違いして半身不随になったらどうしようと泣いたことがあり、ANさんも子供の頃バカみたいな危機感を持っていて、寝る前に「もしあした起きたら目が見えなくなっていたらどうしよう」と思って寝られず泣いたそうで、オレにも思い当たる節があって、ということは足の悪い人とか白痴になった人と自分の距離が危機感が強い分近いわけで、でも(だから)、笑ってしまう。しかし、部落ネタだの在日ネタだのになると引いてしまうことが多いのだ。これは、被差別者と自分の距離が遠いというか、自分が被差別者に成り得ないからなのかもしれないなあ(足だの白痴だのは成り得る)と思った。談笑さんは被差別者の友達がいるそうで、これはひょっとしたら談笑さんと被差別者の距離が近いということで、笑ってあげるというある種の「愛」の表現で危険なネタをしているのかもしれないなあと思う。しかし、そのネタを受け取るファンはそれを理解しているとは限らないんだよなと(ちなみに、オレはファンではない)、鑑賞会の質問コーナー、寺のバイト、ANさんとの話を思い出してそう感じた。