考えたメモ

  • 雰囲気や語調の問題があるので、住職の説法の内容を要約しても仕方ないのかもしれないが――。「禅」というのは「宗教」ではなくイデオロギー批判で、概念を区別して二項対立させてモノを考えたりしない営みなのそうだ(例えば「善悪」とか)。この部分は共感できたというか、そんなことを言われなくても日々の生活の中で個人的に心がけていたこと。で、住職が、今の日本は「ダメ」で、例えば、オウムだの殺人事件だのの例をいくつも挙げて「ダメ」だと言い、それは禅的な志が欠けているからなんだという。なんだ。結局「善悪」という概念を作って、さんざんイデオロギー批判をしたのに、「イデオロギー批判」自体をイデオロギーにして人の心をまとめているんじゃん、とイヤな気分。仏教も普通に争いごとの種になることもあるんだろうし(?)。でもまあ、他の宗教よりマシなのかな。酔っ払いながら「世の中のことを考えない個人的な宗教の方が好きだ」とWDに言ったら「それは宗教じゃない」と言われた。
  • 禅は徒党を組むような宗教とは違い、たった一人で行う思想の実践で、相田ミツヲは禅宗の人らしいけど他人を意識した彼の「安心させ詩」は禅とは対極のもので、つまり、人が集まって禅をすること自体にオレは疑問を持っていた。でもまあ、マラソンもたまにマラソン大会に出ると楽しいし、座禅会もそういうものかも。それにしても、オレはニュースを見ないように心がけているし、一人だけでゴキゲンになろうと思っているし、さらに、ポカンと座椅子でジャストを見ているんだから、徒党を組んだ座禅会より禅的な生活を――してたら嬉しいなあ、なんて思ったり。シキソクゼクー。